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受験の合間に


今回の行程

(自宅〜札の辻〜(以後旧東海道)〜草津追分〜金勝川〜御園〜手原〜石部〜三雲〜水口〜土山〜)日野〜愛知川(〜八日市〜御幸橋〜能登川〜五個荘〜(以後旧中山道)〜竜王鏡〜野洲〜草津〜大津〜自宅


 


 さて、甲賀郡から日野郡へ! さて、話は脇道にそれますが、この近辺、南近江の丘陵地帯では、家々が土塁で囲まれてるケースが多いようですね。同じ殊は忍者で有名な伊賀近辺でも言えるようで、土豪勢力が割拠していた地域で言えるようですね。閑話休題、林の中を抜け、日野へ。暫く発って見えてきたのが、日野の町並み。日野に到着です!


 ご覧あれ! 日野町の標識の向こうに見えるは、日野谷! かつての近江商人の拠点の一つです。安土・桃山時代に活躍した蒲生氏の根拠地です。先ずは西へ、哀れな顔の案山子の傍を通り抜け、日野谷へ下っていきましょう。日野川上流部は結構風情ある田園風景が広がっております。


 この辺り、日本の原風景を感じさせる、田園風景が広がっています。そのまま谷間へ下っていきましょう。因みに、この日の川をそのまま下っていきますと、琵琶湖に出ます。長命寺の近くに出るように聞いてますね。しかし、車が殆ど以内ので、かなり走りやすい場所です。


 こういう何もない所では、左写真みたいにでっかい工場が出来るんですよねぇ。この工場、生け垣も良いですね。この辺になると、車も増えてくるから、安全運転・・・。何せ、年明けにはセンター試験と国立二次試験を控える身。怪我したら終わりですからね・・・。やや進むと、日野の小学校。何か新しいし、グラウンドも広い。こりゃ、美山の県立高校と好対照をなしますね。いやぁ、良い里山風景。しかも、天気が晴れてきましたねぇ。


 晴れてくると、進み具合も変わってきます。ペダルの軸ががたついてるらしいですが、そんなの関係ねぇ! 爆走する内、国道307号線――通称「グリーンロード」にさしかかります。このまま下っていくと、日野川を完全に下って、近江平原に出てしまいますので、右折して、愛知川へ向かうとしましょうか。曲がっても、広がるのは田園風景。暫く行くと、一列に連なった田圃が出現。両端は木立になってますね。


 日野谷から離れ、再び丘陵地帯へ。進めば進むほど、木立が深くなっていきます。所々に田圃が隠れてますねぇ。江戸時代の所謂「隠し田」というやつですかね? イマイチ分かりかねますなぁ。誰か御存知の方がいらっしゃったら、教えてください・・・。m(_"_)m ついでに、中央写真上の高架も何なのでしょう? 併せて教えて欲しい物です・・・。


 そして時計を見ると、もう1時半・・・。マジで!? これは困りました。早く進まなくては・・・。そして、早く昼飯にありつかなくては・・・。ついでにこの「隠し田」って、もしかして鈴鹿山脈から流れ込む小川に沿って分布してるんですかねぇ? なんか、道路と垂直に、数列に渡って分布している気がするもので・・・。とか考えてると、再び木立の中に入り、坂を下っていきます。どこに出るんでしょう? 飯屋はあるんでしょうか?


 更に進むと、道に「シャクナゲ寺」の表示。何故シャクナゲ寺か? う〜ん、偏に石楠花が有名だから? というのが真相のようですね。正式には釈迦山百済寺というようです。日本の「日本紅葉百選」や「近畿五大紅葉名所」、そして「湖東三山」の一つにも数えられる天台宗の寺院です。織田信長を最もよく知る外国人、ルイス・フロイスも来たことがあるそうです。もっと進むと、「首都機能を甲賀・東近江(畿央)へ」。鈴鹿山脈沿いの湖東を畿央という発想はありませんでしたね。そして首都機能。辞書引けよ。それはさておき、この辺は大分開発が進みつつあるようですね。といっても、この辺の景観は、木立→田圃→木立→田圃→木立という、ワンパターンな縞状のモノが卓越しているようですね。


 何だかんだでやっと到着しました。日野川!! やっと着きました。って、まだ日野川!? 先長すぎでしょ・・・。そして、日野川が葦に覆われてて余り見えないという・・・。何だこりゃ。orz


 とか言ってると、日野川を渡ってから大分開けた所に出てきましたね。ビルも散見されますね。これは、日野市街と見ていいでしょう。古来有名な近江商人の拠点の一つです。並木道もなかなか洒落てますねぇ。


 間違いありません。日野市街地ですね。この辺りでも信楽の狸は健在(笑) まぁ、信楽とはこの国道307号一本で繋がっていますからねぇ。日野中央部ともなると、高校も凄い。レスリング部の園田巧氏他、様々な分野で様々な人が活躍しているようです。我が高校でも、水泳部に佐藤豪なる人がおりまして、朝礼の度に表彰されていたものです。正直、あれだけ症状を貰うと、賞状の価値がなくなって、裏紙にでも使ってそうな気もしますねぇ。それとも、壁が全部賞状で埋まってるとか(笑)


 昼飯屋よりも先に土産屋を発見です。名は伊勢藤。何故に伊勢? もしかして綿向街道(国道477号)が伊勢に繋がってるからですかね? よく分かりませんね。ここで粟餅他数点の土産を購入。ここで日野町中散歩マップを入手。なんか、中野城とかありますね。行ってみましょうか。ということで、日野の旧市街を探検です。奥田工務店の看板には「飲酒運転をしないでネ」。確かにこの狭い路地で飲酒運転すると、確実に事故りますね。もっと進みましょうか。おや、京進日野校、京進日野校!? こんなクソ田舎にこんなモノがあるのか!? (日野在住の皆様、すいません) でも、裏を返せば、日野って、それだけ市場を見込める土地なのかも知れませんね。一応、もう少し下流部に行くと、駅もありますしねぇ。


 中野城を目指し、綿向街道を進みます。この辺り、完全に市街化してるわけでもないようですね。しばらくすると、道は並木道に。興仙寺、大聖寺他、寺院がいくつもあり、森も時々見受けられます。


 折角ですから、旧市街の中へ入ってみましょう。この辺りにも水口同様、曳山の習慣があります。由緒正しき寺社を中心に、鐘なども整備されています。因みに、中央写真の笠懸の宮、これは日野祭と関係の深い神社で、流鏑馬が行われたことが名の由来だとか。ほら、的をかけるでしょ? あれを笠懸と言うじゃないですか。


 武家屋敷跡で曲がり、木立をぐるっと回ると、そこは日野川ダムの畔、中野城址。天文2年(1533年)に蒲生定秀が築城した城です。かの蒲生氏郷はこの城で生まれ育ち、本能寺の変に際し、明智光秀が安土城を接収すると、信長の妻子一族をかくまった所ですね。先程の日野市街地も、この城の城下町として築かれた所ですね。


 さぁ、国道307号に戻るとしますか。 今知った話なんですが、この国道、蒲生氏郷の名に因み、氏郷街道と呼ばれてるようですね。グリーンロードよりもしっくり来ますね。戻ると目にしたのは液体窒素。何故に、液化窒素? どうしてここに? いやぁ、分かりませんなぁ。ついでですから、神社にも立ち寄りますか。ここらで支配的なのは、馬見岡綿向神社。5月2、3日に日野祭を執り行う神社です。近くには、若松の森跡が広がっています。豊臣秀吉の天下統一が成り、蒲生氏郷が伊達政宗の旧領、会津黒川に転封されたとき、黒川の名を、故郷中野城の近くにあった若松の森の名に因んで、会津若松に改めたと伝えられています。この若松の森はここ綿向神社の参道を覆った森でありまして、古書によると、江戸時代に殆ど枯れてしまったとか。それを伐採して、人家がたくさん建ったそうです。今の松樹は名将氏郷が会津から故郷を懐かしんだ名残の松に当たりますね。


 さて、松原から滝之宮神社経由で旧市街に戻っていきます。左手に見えますは、蒲生氏郷の遺髪塔が残る、信楽院。蒲生家の菩提寺らしいですねぇ。更に進んでいくと、ほら、古い家並みが見えてきました。近江商人以来続く老舗ですね。こういう店は日野旧市街一帯に広がっています。こういう商業拠点だった町では、水口同様、古くから曳山なんかが盛んみたいですね。


 氏郷街道まで戻ってきました。気を取り直して、愛知川へ! 舗装状態も良いから凄く走りやすいですね。さて、また丘陵地帯に突撃です。丘陵地帯と木立は最早セットですね。


 丘陵地帯では登りの次は下り。これは最早鉄板です。成績もこうなったらまずいんだよな〜。春先に大奮戦したので、今の成績は良好なんですが、何と言ってもこれからどうなるかが怖い・・・。下がったらどうすれば・・・。と、ここで喉が渇き、かつ茶を全て飲み尽くしてることに気付く。この前大坂行ったときの教訓はですねぇ、自販機で買うのは茶ではなく、AQUARIUSだってことです。何故か? お茶だと水分が補給されるだけなんですが、AQUARIUSだと、体力回復が実感できるんです。ブドウ糖とかの働きによるモノだと思いますね。え、詳しいことだって? 文系にそういうこと聞きますか、普通? センター化学には出ませんぜ? まぁ、それはさておき、アクエリアスからの連想、『創聖のアクエリオン』を歌いながら、坂を駆け下りていきます。とかいって進んでると、左手に日野町海洋センター。海洋!? 日野町ってもろ内陸ですよ。琵琶湖にさえ接していない。海族館の親戚ですか? 閑話休題、東近江市へ、この道を直進していきましょう。


 この道を左折しますと、例の海洋センターに行くことが出来ます。それはそうと、進んでいくと、休猟区! 何じゃこりゃ? こんな所で狩りが出来るのか? まぁ、湖東平原よりは獲物いそうですが・・・それでも・・・獲物いないでしょう。もしかして何かいるんですか!? それはさておき、東近江に向かい、坂を駆け下りていきましょう!


 良い景色を見ながら、坂道を滑り降りていきます。舗道があるから何とも走りやすい。最近、歩行者の方が車より危ないんじゃないかな、と思うこともしばしば。気付けば坂道は終わり、愛知川は間近。ここまで来れば、愛知川はもうすぐです。昼飯と愛知川、どっちに先にありつきますかね?(笑


 あたりは田圃と山のお決まり田園風景。畦道に並木道が整備されてるなんて洒落てますねぇ。道はうねうねと平野を進んでいきます。


 この辺植木が多いですね。そして多少紅葉が始まっています。もうちょっと遅らしてくれば、もっと見事な紅葉が見られたかも知れません。しかし・・・もっと遅らしたら、センター試験で惨敗するかも。orz そんな考えを振り払うべく、スピードを増して、坂道を急降下。目指すは昼飯!


 この涸れ川は一体? 何かよく分かりませんな。恐らくは愛知川の支流の一つですかね? ここを渡ると、広漠とした平原に出てきます。しかしこの平原、最近は開発が進んでおりまして、赤い倉庫やら団地やらが進出してきています。とは言うものの、自然の力は恐ろしいモノで、野田二工業の看板も完全に草木に覆い尽くされております。あれが狙った結果ならそれはそれで凄いかも。


 で、こういう開発が進みつつある所には付き物、土塁です。多分あの上にデパートでも造るんでしょう。まぁ、今のところ着手されていない模様。とか言ってると、ちょ、また坂? また登るんですかぁ? えええ〜〜〜? やだなぁ。仕方がない・・・もう一回登りましょう。登りの後には必ず下り。これももう織り込み済みです。今度こそ愛知川に着かないかなぁ。


 ここの峠(?)でやっと東近江市。着実に愛知川に近付いています。カーブを数個こなして下っていきます。愛知川に早く着かないかなぁ。丘陵地帯は思ったよりも体力を消耗するものですね。


 丘と丘の狭間から平原部が見えてきました。鈴鹿山脈がかなり近くに見えます。遠くの方にはうっすら靄がかかっているようです。いよいよ東近江市に突入です。今度こそ昼飯屋出てきて欲しい・・・。お腹空いた・・・。


 鈴鹿山脈が近いってことは予定通り、永源寺と東近江市の境界付近に出てきたみたいですねぇ。前方に灯籠があるってことは、ここも昔は街道だったんでしょうか? 氏郷街道、その真価は霧の中ですねぇ。この辺り、見渡す限りの大平原です。満州とかアメリカに比べたらショボイもんですけどね(笑) 大平原を流れてくる小川のせせらぎが心地よく――聞こえません。何故か? お腹空いてるからです。昼飯屋はまだ見えない・・・。


 赤い花畑を通り抜けると、もうすぐ国道421号線です。ほら、標識が! 愛知川は今度こそすぐそこです! ここ、御園交差点のすぐ後が愛知川! 愛知川の橋の手前は大蔵寺です。さぁ、渡りましょう! 

愛知川の向こうには・・・!?