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受験の合間に


今回の行程

(自宅〜札の辻〜(以後旧東海道)〜草津追分〜金勝川〜御園〜)手原〜石部〜三雲〜水口〜土山(〜日野〜愛知川〜八日市〜御幸橋〜能登川〜五個荘〜(以後旧中山道)〜竜王鏡〜野洲〜草津〜大津〜自宅)


 


 迷いに迷い、漸く出てきたのがここ手原。自分では何となく、既に石部・水口間のどこかに出てきたんだろうかと思っていますと、地図で見て、何ともおっかなびっくり、まだ石部・水口間どころか、草津・石部間、それも草津寄りです。うはっ、1時間以上軽く無駄にしてもうた。orz 嘆いても、これは最早終わったこと。まぁ、東海道旧道に出て来られたのが唯一の救いですかね? 道を丁寧に教えてくださった心優しいおじさんがいらっしゃらなければ、被害は更に拡大したわけですし・・・。駅自体は何とも、言い表しにくい外観ですね。そう言えば、大和郡山駅もこんな感じだった気も。う〜ん。JRの駅の全般的特徴なんですかね? でも、京都〜水無瀬では少なくとも、こんな感じではなかった気も。それはさておき、先ずは親に謝罪の電話。こっそり出てきたわけですからね。こっぴどく絞られ、水口へ。暫く進むと、手原遺跡の石碑。どうもここは、白鳳時代から平安時代にかけての寺院領だったようです。出土品から見て、旧栗本郡南東域の中心地と考えられるそうです。まぁ、交通の要衝ではありますからね。その交通路たる東海道を更に進みます。


 とか言ってると、本日二つ目の一里塚。石部は近い! さっきも既に触れましたが、石部にはその昔、金山があったそうです。おこぼれは・・・なさそうですね。いよいよ市街地へ。旧東海道って全体的に落ち着いた町並みが多いですね。町興しのためって気もしますがね・・・。


 金山ってあれかなぁ、と思いつつ、進んでいくと、伊勢湾晴嵐の漢詩。どうせなら、全部漢字にしちゃえばいいのに、とも思いましたが、まぁ、日本人の漢詩ですしね。しかし、砂金が落ちてない・・・。


 砂金の金色の変わりに・・・あたりには黄色の背高泡立草! こういう風景が時折続きます。見てると綺麗なんですがね、これほど酷く花粉を飛ばす草も少ないそうな・・・。何かこの辺にいると、どの山見ても、金山に見えてきます。根性がさもしいんでしょうか? そんなこと考えつつ、現国道の下を渡ります。ふと、思ったんですが、車社会は後どれほど持つんでしょうか? これほど環境保全から目の敵にされてる物も少ないですし、長くはない気も。まぁ、免許取れって親は煩いですが・・・。


 ともあれ、道はまだまだ続きます。金山はどこ? ←しつこい。


 あれは何でしょう。高架を建設中ですかね? バイパスでも造ってるんでしょうか。大いに気になります。そして、まだ石部に着かない・・・。遠いですね。地図で見ると心持ち近いんですが。とは言え、中央写真の山を越えて・・・、来ました、石部宿! 「京発ち石部泊まり」という言葉もあるように、京都を出発し、江戸に向かう旅人が最初に泊まる所です。昔の人は徒歩でこの距離を歩いてたんですねぇ。ひ弱な現代人はすぐばてそうですな。


 この宿場は安土桃山時代に発展したようですね。人の往来が多かったことから、高札場を設け、法令や布告を民衆に周知徹底させた場所でもあります。まぁ、概ね趣のある旧市街が残ってますね。ゆっくり見ていきたくもあるのですが、時間が押すので、天井川を潜って、次の水口へ。


 新田道が石部市街の果てですね。まぁ、新田に向かう道がここから分岐してると言うことでしょう。しかし、この辺の石碑はでかい。報恩寺を通過し、大沙川の隧道へ。何でもこの隧道、石造道路トンネルとしては国内最古で、明治17年に作られたそうな。まぁ、最近老朽化が原因で、コンクリートブロックされちゃいましたがね・・・。


 そんなことを考えてると、石部と水口の境界線までやって来ました。東海道のウォーキングが流行ってるせいか、宿場町を離れても、道は整備され、古風な家も残っています。あらら、ご丁寧に道標までありますね。とりあえず目指すは水口宿場。


 道をなおも進むと、どうも三雲に入ったようですね。三雲といえば、横田渡しがある所。野洲川を渡るには、横田大橋を捜さなくてはいけません。横田渡しの常夜灯の横を走り抜け、出てきた先は野洲川の土手。横田大橋は通り過ぎたのか!? 


 どうもそのようですね。三雲駅へ戻り、横田大橋を渡ります。因みに、この渡しについても説明しておきましょう。鈴鹿山脈に源を発する野洲川は、この近辺で「横田川」と呼ばれていました。江戸時代に入り東海道が整備されると、ここは東海道13渡のひとつとして重視され、軍事的な意味からも幕府の管轄下に置かれました。そのため、他の「渡」と同じく通年の架橋は許されず、地元泉村に「渡」の公役を命じ、賃銭を徴収してその維持に当たらせました。まぁ、大井川のケースと同じですね。これによると、3月から9月の間は四艘の船による船渡しとし、10月から翌2月までの間は、流路の部分に土橋を架けて通行させたようです。野洲川と支流の杣川が合流する当地は、水流も激しく、また流れの中には巨石も顔を見せ、道中の難所に数えられたそうです。


 車がブンブン通る横田大橋を渡り、さっさと旧道へ。この辺の旧道は見つけにくいんですよね。そろそろ田園風景が広がってきましたよ。ここら辺には、まだそこまで開発の魔手は伸びていません。


 一面の畑の中、遙か向こうに見えるのは、現国道とその周辺部。車多そうですね。やはり、旧道は走りやすい。殊、平地に関してはね。そう言えば、灯籠櫓が見えてきましたね。水口も近そうですね。先も遠いことですし、急ぎましょうか。


 田圃の中に入ってきましたね。東海道が一直線に伸びるこの辺りは、北脇縄手と呼ばれていました。縄手って言うのは、早い話、田圃の中を進む道です。四条とかもそうですよね。江戸時代になり、東海道が整備され、曲がりくねっていた伊勢大路が廃止されて出来たようです。この辺りには松並木が整備され、旅人の疲れを癒したとか。掃除は、近隣の村々に割り当てられていました。鉄塔がなければ綺麗なのになぁと、つくづく思いますが、ライフラインも大事・・・。難しいですね、なんだか。そうこう考えて進んでいると、右手に「心学塾」! 何だこりゃ。学じゃないのか!? 心理学でもやるんでしょうか?


 そろそろ水口市街に入ってきたようです。左に見えるは、見事な屋敷。木々の配置がまた素晴らしい。四季折々楽しめそうです。そこを越えると、水口の古風な町並みが広がります。曳山祭りで有名な町です。曳山というと、特大版の御輿みたいなものとでも言えば近いですかね。町中に曳山の倉庫があります。一度見てみたい物です。


 更に進むと町の中央部へ。この辺りは来ましたな。仕掛け時計です。前来たときはここで迷子になりましたっけ。今は三筋の道からなる水口市街を抜け、土山へ。徐々に町の外れに近付きます。


 何とここが水口の本陣。見るからに町の外れですね。水口は、豊臣時代に既に、石田三成などの五奉行の一人、長束正家が治め、水口城を中心に市街地を展開させていたこともあって、本陣は市街地中央には建てられなかったようですね。なお、関ヶ原の戦いの直前期、石田三成の家臣島左近は、長束正家を抱き込み、水口で家康を暗殺しようとしたのですが、正家の態度が煮え切らず、家康に見切られて逃げられたという話もあります。それはさておき、一路土山へ。看板を見ると亀山33km。遠いですな。土山もまだまだ先のよう。出来たら関まで行きたいんですがね。


 うおぉぉ〜! 旧道を頑張って進みますが、重苦しい空の下、土山は一向に見えてきません。しかも、この辺から旧道と現国道が合流。車の多いこと・・・。何でこんなに多いんです? 地球温暖化問題はいずこへ? お、あれは! やっとこさ土山到着です。


 しかし左を見ても、右を見ても、見えるはただただ、野洲川平野に広がる田園風景。正直な話、景色に変化なる物がないんですね。しかも、時がたつのは早い物。そろそろ11時半。今日のところの目標は、土山攻略もさることながら、何と言っても愛知川到達の方が大事です。それに、考えても見てください。行きも帰りも東海道。トラックがびゅんびゅん飛ばす中、トボトボ家に帰ることになるんですよ? これは頂けません。う〜む・・・。考えあぐねていると、交差点にさしかかりました。左に行くと日野、直進で鈴鹿。さて、どうした物ですかね?


 おぉ、きれいな花畑ですねぇ。やはり、ここいらで日野へ向かいますか。土山をいつか攻略することを心に誓い、道を左へ。水口丘陵へ進みます。しかしそろそろ昼時。いつ昼食にしたものか・・・。


 カーブをうねうねと曲がって丘を登っていくと、御覧あれ! 野洲川の向こう、甲賀丘陵があんなに低く見えます。結構登ったんですねぇ。しかしカーブはまだまだ続きます。いやぁ、花脊とかを思い出します。でも御安心を。あんなに急傾斜でもなければ、あんなに急角度でもありません。結構気持ちいい場所ですね。それにしても中央写真のあの風景は何でしょう? 茶畑ですかね?


 さぁ、曲がりくねる坂を上っていくと・・・ガードレールの彼方に、野洲谷がくっきりはっきり見えてきます。あの狭い谷が日本の大動脈だったんですねぇ。東海道ですよ!? 五街道の首位、東海道があそこを通っていたんですよ? かつて徒歩で日本を東へ西へ歩いていた旅人たちは姿を消し、代わりにトラックや自動車が猛スピードで駆け抜けていきます。この地の利は古来変わらないんですねぇ。人は大いに進化した、としばしば喧伝されていますが、本質は大して変わってないんでしょうか? 最近そう思うことが増えてきましたねぇ。あ! あの茶畑も良いですねぇ。
 そして、前に見えるあの道を、あの街道を下っていくと、そこは日野。未だ見ぬ地へつながっていきます。日野ではいったい何が管理人を待ち受けているのでしょう?

WELCOME TO 日野 !!