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受験の合間に


今回の行程

自宅〜札の辻〜(以後旧東海道)〜草津追分〜金勝川〜御園(〜手原〜石部〜三雲〜水口〜土山〜日野〜愛知川〜八日市〜御幸橋〜能登川〜五個荘〜(以後旧中山道)〜竜王鏡〜野洲〜草津〜大津〜自宅)


 いやはや、長らく更新が滞っておりました、申し訳ございません。何故か御存知ない方のために言い訳を申しますと、

皆もすなる、受験てふものを、我もしてみんとてするなり。

 と言う訳で、長らく勉強に忙殺されていた訳でございます。で、今は某国立大学の前期試験が終わり、合格発表を待っている次第でございます。早い話、何をして良いやらよく分からない、落ち着かないことこの上ない時期である訳です。まぁ、受験の体験も、受かってたら追々話していく積もりではあります。で、今日皆様にお話しするのは、そんな受験の最中、10月21日のとある小旅行(笑)の話でございます。

 私の通う高校で、所謂「前期」とやらが終了しました。当の私、管理人は受験勉強に追われる中、ふと、遠く彼方の街道、丘陵、川、山々が微かな声で私を誘っているのを感じ始めました。初めの内は理性で押さえ込むことの出来るものだったのですが、やんぬるかな、その声は日増しに反響して強くなり、とうとう理性の鎖を粉砕してしまった訳です。その声は東の方、瀬田川の彼方から聞こえてきました。そちらに目を向けると、野洲川の彼方にはまだ知らぬ、まだ見ぬ大地が広がってるのです。どうやら、私に語りかけてくる何かは野洲川の彼方にあるようです。

 それが何か、見に行く必要があります。しかし、最大の障壁は峨々たる大山脈でも、広漠たる荒野でも、地を穿つ大河でもありません。それはでした。正直なところ、(自転車に関しては)犬養首相の言うように話せば分かる相手ではありません。しかし、事態は急を要しました(笑)。21日の朝、管理人の親は

心の換気に行ってきます

 との置き手紙を見つけると同時に、管理人の寝床がもぬけの殻であるのを見いだすことになります。


 久々の朝の空気は快く頬を打ちます。朝未き群青色の空の下、自転車を疾駆させて、九条山、山科を一息に乗り越え、逢坂山へ。ここで注意なのですが、この逢坂山、国道から行くと、道が混み合ってるったらありゃしません。酷い場合、バイパスに突っ込んじゃうことがあります。かく言う管理人もかつて、バイパスに突っ込んで、看板が緑色なことに気付いて慌てて引き返した記憶が・・・。これを避ける道はあるんですね。知る人ぞ知る(?)裏道ですな。いや、東海道旧道を使えば良いわけですね。すると山科追分に出ます。何故かここはもう滋賀県ですがね。何故追分かと言いますと、ここで東から進んできた東海道が、九条山経由で三条大橋を渡り京都に入る本道と、山科東縁部を進み、宇治・伏見方面に向かう伏見街道とに分かれるからです。確か道標が残ってたはず・・・。まぁ、余談はさておき、ここを進むと、すぐに逢坂山。右には走井(右写真)。かつて東海道を進んだ旅人達がここで喉を潤したという名水です。


 逢坂山を駆け下り、大津市内へ。旧東海道に乗り、札の辻までやって来ました。この札の辻って言うのは、面白い所でして、東海道が山科に向かい直角に曲がることから、大津市の道路元標が置かれている他、かつて巡査・津田三蔵が当時のロシア皇太子、後のニコライU世を刺しそうになった大津事件が起こった場所でもあります。中央写真の向こうの道が旧東海道です。古い町並みが幾分残る落ち着いた街道です。


 旧道を進むと、右には滋賀県庁。立派な建物ですね。カメラ向けたと単信号が赤に変わったのは何故!? まぁ、それはさておき、更に進むと義仲寺に至ります。源義経・範頼の軍勢に対し、宇治・瀬田の二面作戦を採り、瀬田にて巴御前と共に果てた木曾義仲が祀られてるそうな。義仲の父は帯刀先生源義賢。でもこの先生は確か義経の兄源悪源太義平に殺されてます。理由は・・・忘れました。因みにこの辺は、膳所城の城門が昔あったそうです。城門はどこぞの神社に譲られたそうな。


 鎌倉時代からの建物である石埜神社を越えると、遠見遮断が連続登場。何でも、聞いた話だと、敵軍の侵攻の際、待ち伏せしやすくするためにわざと道を曲げてるのだとか。今で言うと、車が自転車を待ち伏せてるって感じですかね。まぁ、事件が多発しそうな場所ですな。2回ほどクネクネ道を曲がっていくと、加藤酒店にさしかかります。管理人は生まれて初めて、酒の自販機を目にしました。写真は・・・撮ったと思ってたのに、撮れてなかったみたいです。ごめんなさい。


 白鳳時代から高竈神を祀る和田神社を経由して、本多家の菩提寺たる梅香山縁心寺を通過します。本多家は江戸時代、徳川幕府から膳所城を預かった譜代家ですね。膳所城は京都以西から進むなら、ほぼ確実に通過しなければならない瀬田唐橋を抑えるために造られたようですね。続いて、篠津神社の近くを通ります。どうやらここはスサノオを祀ってるようですね。膳所城の城門が移設されたのがここだとか。膳所城主の本多家と縁が深かったそうです。


 おっと! また遠見遮断。こんな調子じゃ大津は交通事故のメッカになりかねませんね。中央写真に見えるは京阪電鉄の瓦ヶ浜駅。道の両側にプラットフォームが分かれてます。普通に無賃乗車できそうですね。ここを越えると、あとは唐橋目指して一直線。栄町へ。しかし、そういえばこの辺に、木曾義仲に従って戦死したという、今井兼平の墓があると聞きましたが、どこですかね? 


 真っ直ぐに自転車で歩道を進むと何とここで階段!? これは自転車民への嫌がらせですか? このいかにも車の多そうな車道を通れと。道交法上は自転車は車道を通らなきゃいけないそうなんですが、私の知り合いが自転車で車道を通ってると、点数稼ぎ目当てのお巡りに呼び止められたとか。自転車って社会の目の敵にされてるんですかね? 地球温暖化を防ごうなんて言ってるのにね。地球温暖化といえば、関●電力のコマーシャルで、「地球に良いこと始めちゃおう!」とか言って、原子力発電を宣伝してるヤツがありましたね。放射能の方が二酸化炭素より比べものにならないほど危ないのは気のせいでしょうか? 敦賀でチェルノブイリ再発なんて日にゃぁ、京都・大阪はあっと言う間に死の町になりますよ。orz
 まぁ、ぶつぶつ言ってもしゃぁないので、栄町を強行突破していきます。するとそこには石山商店街。


 石山商店街を曲がれば唐橋はすぐそこ。何か近年橋の色について議論があるとか。鎌倉時代の絵巻を根拠に橋を紅く塗り直せとする意見があるそうです。まぁ、その方が見栄えしそうですね。こんなに風光明媚な所なんですから。唐橋の中之島は是非一回は訪れるべきだと思いますよ。


 てな訳で、瀬田川を渡って江南へ。ここからは昔六角一族が治めていた所です。因みに、よく「急がば回れ」というのですが、その語源はここ瀬田付近にあるそうで、大津・膳所方面へは、陸路唐橋を経由するよりも矢橋港(今の矢橋帰帆島の裏の港ですね)から水路を利用した方が早かったのですが、天気が悪いと渡し舟が転覆するなどの危険があったそうで、旅人は矢橋道追分にある姥が餅屋で、どちらの道にするか思案したといいます。室町時代に連歌師宗長が詠んだ歌に

武士の やばせの舟は 
早くとも 急がばまわれ 瀬田の長橋

 とありますね。しかし、何かわびしい雰囲気ですが・・・。瀬田に出て最初に目にするのが建部神社。日本武尊等を祀ってるようですね。古くは大見の国の一宮とも讃えられた神社です。その来歴は神代に遡るとか。神代寝台と変換されるこのパソコンは本当に文脈が読めない困った子です。しかし全く持って迷路みたいな町ですね。どっちがどっちかさっぱりです。お、あれは民主党ポスター。遅蒔きながら、政権交代おめでとうございます。何かもう既にバッシングされてますがね。まぁ、マスコミからしちゃ、与党叩く限りは間違いにならないのだから簡単な話ですね。しかし、思うんですが、最近の国会議員って、立法よりも裏金に興味あるんですかね。どうせみんな汚職やってるんだから、自分もしてることをああまで口汚く罵って恥ずかしくないんですかね? 


 うぉっ! ほ、細い。しかし町並みからして、これが旧道っぽいですね。これを進むと、現国道にさしかかります。ここにはかの知る人ぞ知る野路の一里塚があります。一里塚は日本橋から一里毎に設置されていたそうですが、今日まで残る物は少ないそうです。まぁ、土地が民間に払い下げられて消滅してしまった申し訳に石碑が建ったようですね。


 一里塚を越え、こちらは狼川の畔。この狼川は昔から水が涸れてたようです。結構感じの良い町並みですね。そして再び旧道へ。風情のある町並みです。


 更に進むと、ゴミ置き場の向こうには新田発祥地開発の石碑。この辺りは確かに田圃が多いですね。しかし発祥地というと・・・。すごいですね。大阪の技術で瀬田川とかの湿原を開拓したんでしょうか? 興味は尽きません。さぁ、木立を越えて・・・大津と草津の境へ。何と時計台じみた物が設置されてますね。多分草津本陣を模した物ですかね? 大津と草津の境界線は・・・多分狼川の旧河床でしょうね。


 これは弁天池ですね。多分・・・。しかし、この辺は溜池多いですねぇ。遠見遮断を越えて草津へ。


 狼川を渡ったあたりに見えるのが・・・そう、野路の玉川。と言っても御存知ない方も多そうなので、一応説明しておくと、早い話、湧き水ですな。今は大分ショボいですが、昔は湧水量も多く、平安期に源俊頼が

あすもこん 野路の玉川 荻こえて
色なる波に 月宿りけり

 と詠んだ所だとか。今でもまぁまぁ風情ある所ですがね。しかし風情ある場所ですねぇ。家々もなかなか良い家ですな。多分、高所得層の住まいなんでしょうねぇ。


 とか言ってると、国道へ戻って来ました。旧道は・・・どこ!? 通りがかりのおじさん(多分通勤)の人に聞いたら丁寧に教えてくださいました。ありがとうございました。しかしこの辺も都会になりましたなぁ。うん。ここですね。これが旧道ですねぇ。あっこの鐘からしてそんな雰囲気ですよね。とか言ってると、草津川へ。天井川で有名な川ですね。


 旧市街ですね。草津の本陣周辺は旧市街が整備されてるようですね。舗道からして雰囲気が違いますよね。何か東海道沿いの旧宿場町は、町興しの材料として、旧市街整備に力を注いでるそうです。その恩恵を受けてるのが、こうした旧道にある商店街、ですかね。とか言ってる内に草津本陣が見えてきました。ここから道が中仙道、東海道に分岐していくんですよね。って、休みですか。


 この辺は草津市の中心部ともあって、大分整備されてますな。しかし、市役所の周りともなると、訳のわからん彫像も。中央写真の彫像が何を意味してるのか全く分かりません。誰か御存知の方は教えてください。中仙道と東海道の追分だけあって、近江路の歌が残されてますね。何々・・・

近江路や 秋のくさつは なのみして
花咲くのべぞ 何處ともなき

 尭孝法師の句ですね。くさつは掛詞でしょうか。


 左写真はさっきの歌の説明です。中央は世に名高き草津川の天井川。地理教師の恰好の説明材料となります。そう言えば、マキノの天井川が工事で姿を消すそうで・・・学校の地理講師がいつもそのことをぼやいてました。そして、草津川の袂にある灯籠は、そう、東海道・中仙道追分の碑です! ここで両道は分かれ、江戸の日本橋まで相会うことはありません。管理人はここを右に進むことになります。


 が、ひとまず天井川の向こうにある商店街を通り抜けて、出口を撮影。後、思ったんですが、この時間帯って、通勤ラッシュみたいですね。管理人の学校は今日は休みなんですが、世間はそうでもないようで、皆さん忙しげに歩いていきます。そして管理人に時折奇異の目を向ける。いや、サボりの不良君じゃないですよ。今日に限って言えば、受験勉強サボってますけど。てな訳で、それはさておき、東海道方面へ。


 常夜灯を手がかりに、南東方向へ。程なく草津川の土手にさしかかります。右手には草津中心部の町並みが。この土手もなかなか良い所ですね。因みに、天井川の土地利用はと言いますと・・・右写真をご覧あれ。公園と化しています。それは最早、川ではない・・・。


 ね? どう見ても川ではないでしょう? 土手の中の緑地、というのが相場ですね。さて、草津川に沿って進みますと、そこには現国道。同じく天井川を突き抜け、伊勢に向かっています。とは言え、排気ガスが濛々と立ちこめる道をダンプカー達と進む気にもなれないので、旧道へ。栗東市に到着です。草津を含め、この辺りは昔、栗太郡、もしくは栗本郡と呼ばれていたそうです。そう考えると、草津や瀬田は栗西とでも呼べるかも知れません。


 しかしこの辺は石碑の色が濃い。新しく整備された証拠ですかね。長閑な田園風景を進んでいくと、そこには古志゛ま屋の跡地が。何でもここは、幕府によって設置された立場茶屋で、地元産の食材を用いた菜飯や田楽が東海道名物になったとか。田楽茶屋とは立場の元伊勢屋(岡野屋)と、ここ(寺田家)、京伊勢屋(西岡家)の三軒を言い、全てが岡の地に店を構えたそうです。


 どうもさっきの茶屋と言い、この辺が田楽の発祥地のようです。田楽と言えば、五穀豊穣を祝う農民の儀式だったのですが、いつしか見せ物化した面もあったそうです。鎌倉幕府の最期の執権北条高時は異常な田楽狂で、年がら年中自分の許で田楽を行わせ、ただでさえ破綻しかけてた幕府の財政を食いつぶしたほどです。いつか見てみたい物ですね。後、右写真が本日二つ目の一里塚。


 さて、田楽の地を後に東海道を進みます。右手には金勝川。何故金勝かというと、その昔この上流、石部のあたりに金山があったからだとか。それに気をとられ、この後とんでもない事態(?)が訪れる・・・。


 何か田舎臭くなってきましたね・・・。本当にこれは東海道でしょうか? 左の柵に何かの気配が・・・。正体は・・・山羊。山羊!? 何でこんな所にぽつんと一頭? いやはや、飼い主は何をしてるのやら。


 あれが件の金山でしょうか?(違う) 明らかに東海道じゃない匂いですね。ここはどこ? お忍びとあって、まともな地図を持って来られてません。こいつは困った。とりあえず信じて進むしかありませんね。信じる者は救われる。これを信じましょう。因みに、右写真の工場の名はスターライト。イカす名前ですねぇ。これがバス停の名前になってしまうあたりが恐ろしい・・・。


 さて、田楽の櫓を通過し、標識を見ると・・・? み、御園!? 地図を見ると・・・東海道から遙か西! このまま行くと信楽に突っ込んでしまいます。これは計算外。とりあえずフレンドマートでお茶を補給して・・・。お、落ち着け! 迷子になった訳じゃない。とにかく東へ行くんだ! 太陽出てないけど・・・。まさか東海道はあの山の向こう?


 とにかく東へ。そして出てきた場所は・・・何とさっきのスターライト!! ど、どうする。とにかく引き返せ! 全速力で撤退です。金勝川にしてやられた・・・。時は既に8時45分。果たして無事に水口に行けるのか!?

続く