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南の険・暗峠(1)


今回の行程(1)  於1月23日(金)

自宅〜宇治大橋〜大久保〜奈良街道〜木津〜乾谷〜清滝街道〜北生駒(学研都市)〜富雄川〜帝塚山〜   


 まさかの冬場遠征。何故こんな事ができたんでしょう。親が許可してくれたから? そんな訳ないでしょう。お忍びですよ、お忍び。では何故こんな暴挙に出たか? それは・・・春になったら、親に「受験だから外行っちゃダメ!」と言われるのが丸見えだからです。要するに行ける内に行ける所に行っとこうという訳ですよ。で、親の反応はどうだったかって? 想像つくでしょ・・・それはお楽しみ。

 で、お忍びとなると、当然親の援助は期待できない訳ですから、ばれないようにおやつやらデジカメやらを鞄の中に詰め、昼飯を食う場所の情報だの、行き先の詳細、それにその日の天気などを調べる訳です。初めは水曜決行の筈だったんですが、何とその日は降水確率80%! こりゃダメだ・・・。仕方ないから雨天順延と。で、次の休みは金曜。曇りのち晴れか・・・悪くない。この日に決行と行こう。そして当日、目覚めたのが5時半。時計やら財布を装着し、準備も点検。万事異常なし。朝飯を済ませ、さぁ出発・・・という所で母親に見つかってしまいます。そんな物音立てなかった自信はあるのですが・・・。そして始まる押し問答。もとより両方妥協の余地などありません。向こうに言わせれば親を騙すのは卑怯という訳ですし、こっちに言わせれば、卑怯も何も相談して行かせてくれるなら始めっからこんなことはしねぇよという訳です。結局こっちが強行突破に出ると、親も当面は諦めてくれたようで、携帯を持たせて送り出してくれました。決して頑固なだけではないと言う訳です。そして出発したのですが、時に6時12分。何とこの不毛極まりない押し問答に20分以上取られたという訳です。このタイムロスが果たしてどう出るか!?


 しかしまだ冬も真っ盛り。6時過ぎてもあたりは漆黒の闇に覆われています。しかし夜も後僅か。夜が明けるまでにどこまで行けるか。そして夜になる前にどこまで戻ってこられるか。そんなことを想像しながら、九条山を越えて山科に入ります。このまま外環を通って平等院まで行くと最も早いんです。飛鳥行った時なんかは、家から平等院まで66分という最速記録を打ち立てた程ですから。が、ここで想定していなかったのが昨晩降りに降った雨のこと。お陰で道はスリッピー極まりなく、当然スピードも下げるざるを得ません。ああ、もう夜が明けてきたじゃないか。山科川を渡る頃には、曇り空の上に太陽が昇ったと見え、空もほんのりと明るくなってきています。しかし・・・こんな所でもたもたしてる訳にはいかないんだぁ! 出せるだけのスピードを出して一気に醍醐・宇治を南下していきます。そして宇治橋に到着した頃にはすっかり夜も明け・・・7時27分。75分ですか・・・微妙なタイムですね。まぁ気にしても仕方ありませんからさっさと宇治川を渡りましょう。そういえば去年は源氏物語1000年紀とかで、京都や宇治は大騒ぎでしたね。私も結構いろんな催し物を見に行ったのを覚えてます。


 宇治橋を渡りますと、橋の東詰からは道が3方に分かれております。一番広い道は・・・はっきり言って罠です。飛鳥に行った時はこの道を使ったせいで小倉駅まで戻っちゃって、悲惨なぐらいのタイムロスになりました。並木道は綺麗だったんですけどね・・・。それはまた別の話。んで、鳥居を潜って南に行くと、十円玉の絵柄にも採用されてる平等院に行けます。そして真ん中の道は・・・これが今から行くべき大久保まで通じている道です。という訳でこの道を通って先ずは奈良街道の大久保まで行きます・・・が、宇治川西岸の宇治は市街地のくせに傾斜がなかなかうっとしいんです。自転車で山に行くことが多い方にとっては絶好の練習コースですが、前半は少なくとも体力を温存しておきたいことにはうっとしいことこの上ありません。南西方向に上り道がずっと続いていきます。


 ですがこの上り道も「お好み焼き・くうたろー」という店のあたりから急な下り道になり、ペダルを漕ぐ必要は皆無。後は楽にスイスイ進んでいきます。なんと宇治橋からものの10分で大久保駅に到着。ここからは奈良街道に左折して道を南下していくことになります。


 平坦な奈良街道を南下していくとあっという間に城陽に入ります。そして道の左手には線路が出てきます。JRの線路ですね。大方この線路を使って天理〜京都の間で人が行ったり来たりしているんでしょう。更に南下していくとさすが国道、徐々に車の交通量が増していきます。このまま車地獄に突っ込むのも嫌なので、ALPLAZAからは旧街道を使いましょう。


 左の方の狭い路地が件の旧街道です。因みにこの旧街道には行ってすぐの所に石碑が建っています。曰く、「是北・京都街道 南・奈良街道」という訳です。京都人がこの道を奈良街道と呼ぶように、奈良人はこの道を京都街道と呼んでいました。と考えると、城陽南部が京都文化圏と奈良文化圏との境界だったという訳でしょうか。確かに考えてみると城陽以南では奈良観光バスが幅を利かせてますよね。和束でもそうでしたし。その辺を今度調べてみるのも面白いかも知れません。話が逸れましたね、閑話休題としましょう。さて、旧街道を南下していくと初め古風な建物が建ち並ぶ路地に入り、続いて茶畑や田圃が広がる田園地帯へと入っていきます。


 茂みを抜けて長谷川を渡ると、少し景色が開けます。うっすらと靄に霞んでいるのは和束の山々。遙か昔、和束谷に行きました。今となっては無性に懐かしい・・・。


 おっと・・・火遊びはいけませんねぇ。庭で火を燃やすとは・・・危ないですよ。最近は変な火事が多いだけにね。さて、どんどん南下していくと「梨間の宿」の石碑が出てきます。ここから道を左折していくと、宇治田原へ続く道にさしかかります。道の横を流れているのは青谷川。今や葦が茂るだけで水は殆ど流れてませんが。


 広大な畑が広がっていますねぇ。そしてその彼方にうっすらと見えるのは木津川の山城大橋でしょうか。でも、それって・・・旧街道から何かの拍子に逸れてしまったってことですよね。国道の方の奈良街道は車地獄難で敬遠しておきたいんですが。一方左手の方の山々は依然として朝靄に包まれており、距離感覚がいまいちつかめません。いずれにせよ、旧街道から逸れているのは確か。ほらほら、木津川の土手に出て来ちゃいましたよ。


 仕方がありません。畦道を通って旧道に復帰しましょう。強引ですけど仕方ありません。中央の写真に見える面白い形の駅は・・・山城多賀駅ですね。ということは、もうすぐ南山城の地峡に到着するという訳ですねぇ。え? 地峡って何かって? 慌てない、慌てない。すぐに説明しますから。と、その前に朝靄に包まれる山を記念撮影。何かこうしてみると神秘的ではありませんか?


 ほら、地峡が見えてきましたよ。ここでは和束谷と井手町を仕切る山々が木津川に向けて張り出してまして、新旧奈良街道とJRの線路が殆ど並ぶようにしてこの狭い地峡を抜けていっています。大袈裟に言えば南の山崎って所でしょうか。大袈裟すぎますね・・・忘れてください。因みに、地峡の上に架かる橋は管理人にとって永らくどこに繋がる道かは謎だったんですが、どうやら和束谷に向かう道のようですね。ものすごく強硬に造った悪路という感じがしますけれど・・・。そして地峡を南に抜けるとそこにあるのは玉水駅。この南には玉水川という川が流れています。綺麗な名前ですね。


 井手の玉川までやって来ました。ここでは天井川が形成されていまして、電車はこの川の下のトンネルを潜っていきます。で、件の玉川ですが・・・名前倒しですね。名前のような清らかなイメージはどこへやら、これまた葦が繁茂する弱小河川。かなり酷い言い方ですね。玉川流域の皆さん、すいません。玉川を渡ると見えてくるのは古風な建物の連なる市街地。ちょ、「キリストは復活された」って・・・信仰にどうこう口を挟むつもりはありませんが、カトリックやらと揉めそうですね。


 玉水川を渡ると・・・今度は天神川。そういえば天神川って地名は結構よく目にしますよね。京都の北野天満宮の傍を流れる紙屋川も下流に行って御室川と合流すれば天神川になりますし、遠く近江では堅田や田上の辺にもそういう名前の川がありました。何か謂われでもあるのでしょうか? 今度調べてみるのも一興かも知れません。さて、話を元に戻して南へと旧街道を下ります。目の前に現れたのは不動川という天井川です。天井川って言うのは、地理の授業で習ったのに拠ると、土砂運搬量の大きい河川の両岸に堤防を作ると、それに伴って川床が上昇し、堤防と川床のイタチごっこじみた底上げが続くと、ついにはその川床の下にトンネルが掘れるようになったという川のことです。この辺りでは近江の草津川や百瀬川、それに河内の寝屋川なんかが有名どころですね。何? 説明が意味分からない? では、是非とも地理の先生に質問に行ってあげてください。きっと気に入っていただけますよ。ただ、天井川に通したトンネルは水が漏っているんで極めてうっとしいですね。早めに通り抜けるのをオススメします。そしてこの天井川を通り抜けると、いよいよ狛のあたりに近づき、木津も間もなくのところまでやってきます。


 ですがここで些か困ったことに。春日神社・・・地図で見ても旧街道から大分離れた所にあります。う〜む、迷子になってしまったみたいですね。しかしこの辺りでは南に行きさえすれば、犬も歩けば木津川に当たるといった場所です。気にせず南へ進撃します。で、南西の方へ行くと、奈良街道に出てきました。それも、もうすぐで伊賀街道との交差点と言う所です。このまま左折すると、木津川の笠置回廊を通って、甲賀と並ぶ忍者の里伊賀に行くことができます・・・が、今日は日帰り、言ったら帰って来られそうにないので行きません。で、そのまま南に下り続けると、泉大橋にさしかかります。確かこの辺から木津川自転車道が嵐山は渡月橋の辺りまで伸びていたはずですが・・・。


 木津川を渡ると、遂に笠置、生駒、奈良、京都の司法への道を約する要衝の地木津に到着します。で、今から管理人が向かう生駒に行くには、木津駅から西に延びる清滝街道を西進すればいい訳です。


 清滝街道沿いに西に進むとしましょう。川ノ尻を越え、溜池の傍を通ると近鉄線の真上を橋が通過していきます。前に大和郡山へ行った時にこの下の道で雨宿りしたものです。懐かしいものですねぇ。この道のすぐの所には高の原駅がありますね。知る人ぞ知る東大寺学園のお膝元です。そう言えば、一時問題ばっかり起こして有名にもなっていましたね。


 そして線路を越えた辺りから街道は徐々に山田川の細い渓谷の中へ。北の方には田園風景が広がり、南側は学研都市建設に伴う開発が進んだためか、崖沿いに団地が張り出しています。そしてなおも山田川を遡る旅は続きます。


 こんな僻地にも関わらず、清滝街道の交通量は半端じゃない。それもその筈、この街道は奈良市と大阪市を結ぶ最短ルートですから、自然、車もたくさん通る訳です。でも重く曇った灰色の空の下この交通量って言うのは私には些か耐え難いものがありますので、旧街道に避難します。柘榴という集落を通る起伏の多い道です。柘榴の集落の西端に交通安全の碑が立ってるのはあながち間違いではないでしょう。


 そして山田川が北へと曲がる両国橋で山城国を後にし、生駒に侵入します。山田川はここに来るまでに、精華の山奥から流れてきているんですねぇ。生駒は本来殆ど何もない山奥だったんですが、近年学研都市の開発が進み、丘陵性の土地に見事な建物が所狭しと並ぶようになっています。そして清滝街道を真っ直ぐ行けば四条畷・大阪方面へ続きます。


 しかし交通量多いですねぇ。トラックがブンブン通っていく・・・。やっぱり大阪〜奈良間の物資輸送のためですかね。あと、西の方に聳え立つ巨大ショッピングモールへの輸送とかもあるのでしょう。いずれにせよ、車の列は鹿畑口までずっと続き、少し行ったとこには「注意! 事故多発地帯」の看板が。・・・そもそも丘陵地帯に無理矢理町を拓き、むやみやたらに道路網を通すからこんな事になるんですよ。


 こうして生駒を進んでると、デパートの立地について嫌でも気付くことがありますね。先程から見るように、ここのデパートはどれも丘の崖際に聳え立っています。相応される理由としては、土地が有り余っていたため、駐車場を多く取れたこと。それから、崖の斜面を掘りぬいて地下に駐車場や市場スペースを確保しようとしたこと。更に遠目から目立つような所に店を建てることで、集客の利を促進しようとしたこと。素人の私にはどれが真相なのか知る由もありませんが、個人的には、これら全てが複合的に影響しあった結果として、崖の上での立地が選択されたんだと思いますね。因みに右の写真はグリーンジム大塚です。グリーンジムって何? ん〜、要はゴルフ場ですかね。詳しいことはゴルフ関係者にでも訊いてくださいな。私は生まれてこの方一度もゴルフなるものをやったことがありません。


 さて、グリーンジムを過ぎ、崖の上のデパートやら団地をかわしていくと、前方には・・・おい、なんだあの坂は? 写真じゃ分かりにくいが、あれを登れと!? うわ〜・・・どうしようか。・・・仕方ない、大人しく登るとしよう。で、車がビュンビュン横を通りすぎていく中この坂を上る訳ですが、登り切った頂上は右写真のように向こう側の斜面が見えない。落とし穴同然・・・。


 振り返ってみて一言、「見よ、車がゴミのようだ」。すいません、取り乱しました。そして行く手には素晴らしい下り道。この下り道を滑り降りる快感は長居上り道を苦労してきたものにしか味わえない筈(と思っていましたが、今日後程、その例外があることを知ります・・・)。そして左手には、何と生駒警察犬訓練所! よくテレビとかで見る警察犬、泥棒に噛みつくあのワンちゃん達はこんな人里離れた所で育てられてるんですねぇ。私は初めてですよ。こんな施設を見たのは・・・。
 で、夢中になって写真を撮りまくっていたのは良いのですが・・・自転車がぐらっと揺れ、慌てて両手で支えたその時! デジカメ使用のためにかごに乗せておいた手袋がドブの中に!! え〜!? マジで? かなりショックですねぇ。乾くまで素手で運転しなきゃいけません。しかも時は1月。冬の真っ盛り。ど〜しよう。・・・我慢するしかないみたいですね。


 坂道を滑り降りると・・・おっ、あれは――富雄川です。ここから左折します。しかし何という込みよう。橋を取ろうにも前が詰まりすぎてて撮れない。仕方がないから信号が変わるのを待ちましょう。高山橋・・・この橋ってそんなに大きいんですかね? 見たところ北野天満宮のすぐ傍を流れる紙屋川と良い勝負ですが・・・。きっとこの辺りでは大きい橋なんだよね、うん。


 高山大橋から富雄川を南北に撮影してみた。この川は遙か大和北端から流れ出て、生駒高山を通り、そして大和郡山で大和川に流れ込むんですね。その大和川は斑鳩から大阪南部へと流れ出すという。話題が大分それました、閑話休題しましょう。この辺りからはさっきまでの学研都市の面影は薄れ初め、長閑な田園風景が広がり始めます。


 更に南へ下っていくと、学研北生駒駅に到着。この駅のすぐ東には、交通の便がいいからでしょう、北大和や真弓などの団地が広がっています。更に富雄川に沿って南下しましょう。面白い形をした生駒市の図書館分館を通り過ぎ、長弓寺前まで来ます。


 そして長弓寺のすぐ西にあった朱塗りの橋は真弓橋。この橋の両岸には同名のバス停もあります。そして真弓橋を過ぎ、なおも富雄川は南へ。またまた崖の上に巨大な建物が見えてきた。そして・・・空も少し晴れ始めました。このまま晴れたらいいのにな。


 本当にこの辺には巨大な団地が多いものです。さすが学研都市。どうせなら巨大な本屋も欲しい所ですね。さすがに効率悪そうですが・・・。そして中央の写真に写ってる店は何でしょうね。随分目立った店ですが。まぁ本筋とは関係ないので、このまま南へ。後は、一回マンホールに当たって自転車がジャンプしたぐらいしか目立ったことはありませんでしたね。そしていよいよ着いたようですよ、富雄駅です。竜田川流域にはいるにはここから右折すればいい訳ですね。


 これでひとまず富雄川も見納めです。この後この川は大和郡山に流れ込んでいきます。そして、今度は竜田川へ向かいましょう。てな訳で西へ進む訳ですが、斜面のえぐいこと・・・。とても市街地のそれとは思えません。生駒人は本当に斜面に住むのがお好きなようです。私には到底理解できませんが。おいおい、本当にこれが市街地の坂か?


 そんなことをぼやいていると早くも下り坂。さっきのぼやきはどこへやら、所詮は市街地という気分になります。が、今度はバイパスが絡んできます。一歩間違えると、阪奈道路に突っ込んで、ずっと大和・河内間の分水嶺の頂上を走るハメになります。南へ曲がるのが正解のようですね。そして南の道をとると・・・帝塚山大学 こども学科が出現。「こども学科」って・・・。一体どんな学科なんでしょうか。中学受験でも時折耳にする帝塚山中学はこの大学と繋がっていますから、事によっては「こども学科」の管轄なのかも知れません。


 今度こそ本当に下り道。帝塚山大学の校門の前を下って竜田川流域へ。そして、そこで管理人の目に飛び込んできたものは・・・

続く