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出雲大社


古事記、日本書紀に記された神話の原型である出雲神話の故郷。

本殿はかつて、48mの高さを誇り、『口遊』に、「雲太、和二、京三【謂大屋誦】。今案、雲太謂出雲国城築明神神殿【在出雲郡】。和二謂大和国東大寺大仏殿【在添上郡】。京三謂大極殿、八省」と言う記述があるほどである。これは当時の大建築の順位を表したのだという。

1位は出雲大社

2位は東大寺

3位は京都御所、大極殿

ここから「雲太」と言う名称が出ました。

出雲大社の口伝では、上古32丈、中古16丈、その後8丈というそうです。ちなみに1丈は3.0303mです。

祀られている神は大国主命で、6柱の女神と結婚し、181柱の神をもうけたとされる恋多き縁結びの神で、後世には  大黒様とも習合しました。


 

 斐伊川を渡るとそこは………出雲郡です! 旧暦の10月のことを神無月というのは、この月には日本中の神々が全てこの地に集まるからだそうです。それで、この地では旧暦10月のことを神在月というそうです。 

←斐伊川


神楽殿↓………日本最大の注連綱があります。

 この長さ13m , 太さ8m , 重さ5tのでっかい綱の先に、コインを投げ込み、差し込むことができたら御利益があるそうな………。

 因みに管理人は2回目で成功しました!!

 やはりチャレンジ精神は大事ですよ。

 

 

 

                                      神楽殿の中身→

 


本殿↓………大社造りという日本最古の神社建築様式のものです。

楼門。↓                          本殿正面↓

  

 通常は楼門の中には入ることができないのですが、正月の間は「おにわふみ」で入ることができます。ラフカディオ・ハーンは外国人の中で、初めてこの中に入った人です。

※↓これはかつての出雲大社本殿の柱の原寸大の復元。こうしてみると、本当に昔、本殿の高さが48mぐらいあったん____     だな〜、と実感が湧きます。

 

←おみくじも引いてみました。西に行くのがいいそうなので、今度は西に行ってみます。(オイオイ………

 

 

 

 

 

 ↓側面からも本殿を撮ってみました。

 


素鵞社↓………素佐之男尊(スサノオ)を祀っている。この神と奇稲田姫(クシナダ)の間にオオクニヌシが生まれた

 

 この近くに彰古館っていう展示館があるんですけど、1階は見渡す限りほてい様の海! ありきたりの表現なんでしょうね〜(ネタのわからない方すいません)。←HINT:太宰治の富岳百景をご覧下さい。


正門鳥居〜銅鳥居

正門鳥居↓              正門前の風景↓

  

勢溜前:神域に下る坂になっています。

ここから祓社の前を通って、

浄の池:桜が美しいものの………静寂。神々の威厳というやつでしょうか?

↓祓橋とその下を流れる素鵞川→→→    ↓。  中央のものが小便小僧に似ているのは気のせいでしょうか?

祓橋の向こうの鳥居:何を思ったか、橋付きです。

 

松の馬場:小道は木のチップで舗装されていました。

 

銅鳥居


付録・古代出雲歴史博物館からの眺め

 

付録・オオクニヌシ神話

 鮫に全身の皮をむかれて(うわ、グロ………)、苦しんでいた因幡の白ウサギに、オオクニヌシの兄神達が海水に浸かると良いと嘘を吹き込み、白ウサギはその痛みで苦しんでいた。しかし、オオクニヌシは彼に川の水で洗い、がまの穂にくるまって風に当たると良いと告げ、実際そうなった。

 こののち、ヤカミ姫がオオクニヌシを夫にえらび、兄神達のプロポーズを退けたことにより、兄神達はオオクニヌシに追い落とす猪を押さえるよう命じて、赤熱した岩石を落とす。何と彼はこれを猪と勘違いして受け止めようとしたんですね〜(オオクニヌシってちょっと馬鹿なんでしょうか?)。 当然焼け死んじゃいました。

 しかし、天神の計らいで、キサガイヒメとウムギヒメに蘇らせてもらったんです。やっと危ないと気づいたのか、この後各地を転々と逃げ回って、父スサノオの治める根の国に逃げ込みます。 するとここでスセリヒメが彼に恋しちゃうんです。スサノオは彼が娘婿にふさわしいかどうか、試練を与えますが、その度にスセリヒメの助けでクリア。 最後にはスサノオの神器を奪い、姫と駆け落ちして逃げ出しちゃいます。(近親婚+泥棒………最低でしょ)

 この後兄神達は平定され、彼は国造りに貢献します。

 高天原では、オオクニヌシが開拓した葦原中国を譲り受けるため天穂日命を遣わしたが彼は任務を果たさなかったので、経津主神、武瓶槌神を派遣し、国を譲るか譲らないかの回答をオオクニヌシに迫った。彼は息子に尋ねたたが、息子が譲るといったので、出雲以外の全地を譲った。

詳しくは講談社学術文庫の古事記・日本書紀・出雲風土記を参照。