×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

一代目自転車最後の出陣


今回の行程

自宅〜乙訓郡〜水無瀬神宮〜高槻城〜芥川〜茨木川〜茨木駅〜万博公園〜箕面〜猪名川〜大阪国際空港〜豊中〜弘済院口〜茨木〜水無瀬神宮〜自宅


学校の文化祭までの残り日数は徐々に減りつつありますが、歴史部の原稿の量は依然として減っているようにも思えません。こんな状況を打開しようと、ある晴れた日に暁と共に家を出発し、自転車に飛び乗り一路南へ進撃しました。
(……という予定だったのですが少しばかり遅れてしまいました。)

桂川を渡り、物集街道沿いに南下しものの2時間で大山崎地峡に到着。天王山が淀川に迫っているのがよくわかります。

ここから先はメジャーな代わりに交通量がものすごい西国街道を避け、水無瀬神宮前を通る旧街道を進みます。管理人はかつてこの神社で、神官さんに朱印をいただくという名誉に預かったのですが、この度は運が悪く30分ぐらい待っても例の神官さんには会えずじまいでした。まぁ、前回はよほど運が良かったのでしょう。占いを買ってみて「旅に注意」という不吉な警句を見てから南に向かって再出発します。  (左:天王山 右:水無瀬神宮)

 

旧街道をどんどん南下すると目に入ってきたのは櫻井駅。

日本が南北朝に分かれて争っていた頃、ゲリラ戦のプロフェッショナル楠木正成は平地での足利軍との戦い故に死を決して、摂津の国境湊川に出陣する矢先、追いついてきた息子の楠木正行に最後の別れを告げたところとして名高い史跡です。

 

ここから南の方は既に摂津国です。「じゃあ水無瀬は?」と不思議に思われる方もおられるかも知れませんが、あのあたりは旧来山城国乙訓郡でした。このあたりの人の市外局番を見れば一目瞭然です。

檜尾川を渡って遂に高槻に侵入成功です。

………しかし、このあたりになってくると、暑いんです。まぁ、夏休み終わりたてだから当然といえば当然なのですが、物集女や水無瀬とは訳が違います。
ちょうどこのあたりから晴れ始めたこともあるのでしょうが、やっぱり近年大阪で大流行のヒー●アイランド現象が一枚咬んでいるのではないでしょうか? 

「温度を下げろ〜〜!」と言いたくなるのですが、いかんせん文句を付ける相手がいません。道端で叫んだら狂人だと思われるので、ここは華麗にスルーして再度南へ。

さて、道は高槻市内へと進みます。のどかな田園風景は消え、所狭しと建ち並ぶ家や店がこちらを伺い始めます。町並みの感じはちょうど淀や横大路の市街地といったところで、排気ガスで色褪せたコンクリートの壁があちらこちらに建っています。
八丁畷の歩道橋はさながら五条堀川の歩道橋のように立派でした。何せここは西国街道と枚方方面への道の分岐点であると共に、高槻駅の正面玄関でもあるのですから。それだけに車と排気ガスの量も恐ろしく多く、管理人もその臭いには閉口しました。

しかし、高槻といえば高槻城(……歴史部なのでそういう風に記憶がリンクするんです。)でしょう。
キリシタン大名高山右近の手によって本格的な城郭になり(築城は入江氏)、東海道線敷設の際にその石垣や木材を泥棒されたかわいそうな城です。
今は石垣や石碑の一部が残るのみで、跡地には市民球場なんてものも作られています(因みに1時間につき500円の料金が必要)。近くには城についての博物館もあるようですが時間の関係上割愛しました。

高槻城を後にすると今度は歌に名高き芥川

『伊勢物語』のどこぞの段で、在原業平は恋する女をここまで連れてきた後、その兄貴に女を奪い返され、てっきり女が鬼に喰われたものと勘違いし、大いに嘆き「白玉かなにぞと人の問ひし時露と答へて消えなましものを」という歌を詠んでいます。現代語に訳すと「真珠かしらそれとも何でしょうとあなた(=恋する女)がたずねたとき、あれは露だよと答えて、私も一緒に露のように消えてしまえばよかったのに(そうすればこんな嘆きはみないですんだのに、なのに悲しいことに今は私はこうしてあなたを失い、その嘆きから立ち直れずにいるのです)。 」といったところでしょうか? 現在中学に入って古文を習いたてという方は覚えておくと得なのではないのでしょうか。結構有名な場面であるようです。

それはさておき、芥川の岸辺を南下していき、小道に入っていきます。
………ここはどこ?
という状態になってしまいました。後で判ったことではここは女瀬川。東五百住町の中心部です。
何とか天堂橋で高槻茨木線に乗って、迷子状態から脱し、茨木川に到着します。

←茨木川 

河川敷の状態は非常に良好なのですが、ちょっと弱々しいイメージのある川です。木津川や瀬田川とは逆立ちしても張り合えないでしょう。

茨木川を渡り、安威川を越えると道は阪急京都線沿いに進み、阪急茨木市駅に到着します。茨木市の心臓部にあたります。
(写真は阪急茨木市駅のもの。) 

ついで枚方茨木線を西進していくと市役所前を通ります。見たところの第1印象は「きれいな街ですね〜」といったところです。

そしてJR茨木駅に到着です。中穂積の交差点で左折し、西駅前の交差点に来たのは良いのですが、横断歩道がない………。 歩道橋のせいです。歩道橋とけんかしても始まらないので、大通りを平然と横断し、万博公園方向に進みます。

春日丘は西に行けば行くほど傾斜がきつくなっていきます。……まだ街の中だぞ、おい! しかも車以外はサイドの急な坂上れたぁどういう了見だ!

ともあれ坂を上りきると、
←あれは、もしや………。
そう、写真中央に写っているものは太陽の塔

万博公園の目印を見つけた後は、歩道橋を強行突破し、西に猛進します。日本庭園とか民俗学博物館とかによって行こうかな〜? と考えては見たものの、ここもまた時間の都合上カット。(民俗学博物館には10月に電車で行きました。結構興味深いところなのでオススメです。)

さぁ、再出発です。万博公園の周縁部を回るモノレール沿いの道を北上していきます。まずまず走りやすい道ではあるんですが、頭上をモノレールが通っていくのは結構恐怖です。落ちてこないのは知っているんですが、どうもダメなんです………。だって一本のコンクリートの筋で支えてるんでしょ? 普通に考えたら落ちてきます。超伝導とかそういうのは文系人間の私の守備範囲外です。(文系人間の皆さん、ごめんなさい) 
地図を見る限りモノレールは途中で止まっているはずなのですが、今では遙か北の方まで行っちゃってます。

………ついでにあの坂は何でしょう? どこへ行くんでしょうか? あれを上るなんて鬼畜じみたことはごめんですね。特に自転車では。

ああ、暑い。
そう思ってコンビニでアイスを買ってみたのですが、チョコレートの味が濃すぎて全然体が冷えません。………困ったものです。

しかし、今からがこの旅最大の山場、箕面の上下コース。……つまりアップダウンがものすごく激しいんです。
あと1時間ほどで猪名川まで到達したい。その決意を胸に(?)、西国街道を突っ走ります。
(左:西国街道から望む箕面の山並 右:箕面のリアルなかかし。"へのへのもへじ"じゃぁない。)

 

 

遂にこの山場も越え、池田市に到着。

こうなれば猪名川はすぐそこ。

 

 

遂に来ました兵庫県!! 

普通の人は間違っても自転車で行かないような距離を踏破してのけたんです! 後で学校でどれほど変人扱いされたことか………。しかし、ここまで来たら猪名川は目と鼻の先です。一挙に軍行橋を渡り、
猪名川制覇!!

(左:伊丹市の標識 中央:猪名川より上流を望む。 右:軍行橋の下を流れる猪名川)

 

更に猪名川の向こう岸に進むとなにやら石版が………(左側の写真)。
ついで爆音と共に飛行機も登場。(右側の写真)
猪名川の土手はいろんなものがあって面白いですね。

では飛行機はどこから来たか………? 
答えはズバリ大阪国際空港
帰りしにこの下を通らせられました。飛行場ごときのために地下に潜ることになるとは実にけしからん。

そろそろ家路に就きます。お土産屋がなかなかに見つからんのですが、伊丹市を横断し、大阪中央環状線に乗って新御堂筋の上を通る北大阪急行の高架の下をくぐり、弘済院口から万博公園周縁部に入り、茨木摂津線沿いに南下し、イズミヤの地域の駄菓子か何かのフェアで400円で土産を購入。………ちゃんと大阪産のものを厳選しましたよ。「粟おこし」がおいしかった……。

 

千里丘からJR沿いに爆走していきます。 
こんなとこでもバックス・バニーの人気は不滅です。

バックス・バニー「にー、先生何してるんだい?」
管理人「いやそれ以前に、なぜここにいるんだい?」
バックス・バニー「……。」

 

暫くすると、高槻市まで戻ってきたのですが水がない………。水筒の中身が空っぽになってしまいました。
ぼやいても仕方がないので、水が無料で補給できる水無瀬まで急ピッチで撤退。ものの20分で水無瀬まで逃げ切りました。ここで水をたっぷり補給……と思ったら、
なんだこの列は!
何と水無瀬の住民がポリタンクに水を入れに来てるのです。いやはや凄い人気ですね〜。

ともあれ、無事水を補給して物集女街道沿いに家に戻っていく管理人なのでした。

ーTHE END−